無我の教え

 

 

捨戒して在家に戻りましたので仏教に対してこだわりは一切ありませんが、宗教の中では一番好きな教えです。

 

今回は宗教ネタで。

 

本来の仏教独特の教えは無我です。

心は常に生滅変化しているもので変化しない真我などは無いと説いています。

 

思考は常に変化していますがそれに気づく意識は変化しないので真我だと説く教えもあります。

 

仏教はその気づく意識も同じ心の流れで常に変化していると説いています。

観察対象である思考とそれに気づく意識は時間差で生じているだけです。

ですから気づく意識をまた気づくことが出来るのです。

 

真我を悟った人の体験では心は変化するが真我は変化しないと言います。

自分の体験上、絶対的に確信している人と議論しても意味がありませんし否定もしません。

 

神を体験したからと言っても神がいる証明にはなりません。

 

私は真我という変化しないもという概念を持ち出すのが特定の伝統に影響をうけているだけの気がします。

 

逆に私は仏教の影響で無我を信じているだけだろうと反論されるかもしれません。

体験していないから知識でそういっているだけだと言われそうです。

 

同じ理論は宗教でよく使われます。

自分がブッダやキリストなどの生まれ変わりと宣言している人がいますが、理由は本人が悟って分かったからです。

 

経典などと本人の教えを比較して違うと言っても生まれ変わって悟っている本人が言っているから正しいそうです。

 

同じ思考構造ではないかと自分の体験については疑うことは、ありません。

 

本人の体験は否定しませんが、その体験に解釈を加えているのは思考でしかありません。

体験は言葉にできないもので言語化すればずれてしまいます。

 

魂、真我、創造主、神などというものは人間の思考が作った幻想でしかないと思います。

 

自我や思考を越えた意識状態に留まれるなら、それに真我と名付ける必要もないと思います。

 

無我だ、無我だというのはお前の自我だと言われそうですが(笑)