不安から悟りまで自由になる

 

 

お坊さんの友達から初めて聞いた話ですが悟りを認定してくれる人がいて500人ほど認定済みとのこと(笑)

 

私は自分の悟りを認定してもらいたい気持ちがあるのは悟っていないのではと思いますね。

 

例えば美味しい料理を食べたら人に聞かなくても分かります。

人に今食べた料理は美味しいのでしょうかと聞く人はいないでしょう。

 

別な例えは雷が自分に落ちたとします。

人に今雷が落ちましたかと聞く必要があるでしょうか?

 

悟りはそれより強烈なものですから人に認定してもらう必要はないと思います。

 

色々な宗教で悟りという言葉を使います。

 

それぞれ定義が違うので人から悟ったと言われたら「おめでとうございます」

「実は私も悟っているのですよ」と答えて悟り談義に花を咲かせると良いと思います。

 

あなたは煩悩だらけで自己中の性格だから悟っているわけがないだろうと反論したくなる人も多いですが、悟りの定義しだいで自己中の性格の悪い人でも悟っていることになるかもしれません。

 

最近の流行では

すべては既に悟っている

悟っていないと思って苦しんでいるのも幻想でしかない

悟りとはただすべては一つだと気づくだけだ

 

人によっては、

気づく必要もない、すでにすべては一つで悟っているのだから

 

などといろいろな意見があります。

 

どう思おうが勝手ですし本人が幸せなら良いのですが、ごまかしや言い訳のような気がします。

「精神的な自由」を履き違えて「好き勝手やる自由」にするために隠れた自我が利用するかもしれません。

 

 

また別な定義では貪欲、怒り、無知などのすべての煩悩が無くなったら悟りだと言います。

 

自分の修業の進歩状態が悩みの種となったり、煩悩があることに自己嫌悪したりして苦しんでいるなら、一歩間違えると完全に悟るまで苦しみ続けなければならなくなります。

 

真の悟りとは何かというのはたとえ自分が悟りを体験したとしても違う定義で別な体験の人を説得することはできません。

 

色々な概念、教義は脇に置きそれぞれの問題に嵌らない様に気を付け、今の瞬間私という思考の流れ・一体化から自由になりあるがままに観察・気づくことが心配、不安、悩みなどから悟りに至るまでの最初で最後の一歩だと思います