観念論より実践論で不安から自由になる

 

5分前創造仮説というものをご存知でしょうか。

Wikiからのコピーですが・・・

世界五分前仮説(せかいごふんまえかせつ)とは、「世界は実は5分前に始まったのかもしれない」という仮説のこと。

哲学における懐疑主義的な思考実験のひとつで、バートランド・ラッセルによって提唱された。 この仮説は確実に否定する事(つまり世界は5分前に出来たのではない、ひいては過去というものが存在すると示す事)が不可能なため、「知識とはいったい何なのか?」という根源的な問いへと繋がっていく。

たとえば5分以上前の記憶がある事は何の反証にもならない。なぜなら偽の記憶を植えつけられた状態で、5分前に世界が始まったのかもしれないからだ。

 

以下、ラッセルの文章。

世界が五分前にそっくりそのままの形で、すべての非実在の過去を住民が「覚えていた」状態で突然出現した、という仮説に論理的不可能性はまったくない。異なる時間に生じた出来事間には、いかなる論理的必然的な結びつきもない。それゆえ、いま起こりつつあることや未来に起こるであろうことが、世界は五分前に始まったという仮説を反駁することはまったくできない。したがって、過去の知識と呼ばれている出来事は過去とは論理的に独立である。そうした知識は、たとえ過去が存在しなかったとしても、理論的にはいまこうであるのと同じであるような現在の内容へと完全に分析可能なのである

— ラッセル “The Analysis of Mind” (1971) pp-159-160: 竹尾 『心の分析』 (1993)

5分前を短くして0.00001秒前にしても、今の瞬間でも同じです。

創造の原因はスパゲッティ・モンスターでも創造主でも真我でも意識でも構いません。

 

個人的に面白いと思いますが嘘だと思うのは何故でしょうか。

 

悟りの体験をした人の話を読んだりするのは面白いです。

定義は別として悟りの体験は本当でしょうが体験を言語化すると滅茶苦茶な人が多いです。

その人の信者は何を言おうが勝手に納得してくれるでしょうが関係ない人間からすると馬鹿らしく感じます。

 

私は論理より実践だと思いってます。

 

自我という幻想や一体化を気づきによって暴いていかないと悩み苦しみは無くならないと思います。

 

自我は幻想で初めから無く、悩み苦しんだとしてもそれは私ではないと言ったところで本人が体験しないことには意味がありません。

 

人が食べた料理はその人しか味わえません。いくら説明してもらって味を想像してもお腹一杯になることはありません。

 

自分の不安、心配、悩みなどをあるがままに観察・気づくことを自分自身で行うことが自我という幻想や一体化からの解放になり、不安などから自由になることが出来るでしょう。